2020年5月14日木曜日

新型コロナウイルス対策について、システム屋の思うこと

新型コロナウイルス対策に関して、「ロックダウンしろ!」「検査を増やせ!」と騒ぐのと「緊急事態宣言は無駄だ!」と騒ぐのは、どちらも同じくらい頭の悪い話だ。

日本の現状は医療崩壊していないし、ひどい感染拡大もしていない。医療の現場が(ウイルス自体の脅威ではなく人々の混乱により)大変だったことはあったにせよ、それでも、従来のインフルエンザ対策の範囲内で落ち着きを取り戻しつつある。

日本の新型コロナウイルス対策は、そこそこ上手くいっているのだ。



それにしてもなぜ、人々は現実を素直に見ることができないのだろうか。

新型コロナウイルスの問題は、まだ収束していない。大きなリスクを抱えている状態だ。リスクというのは「わからないこと」とか「実現していないこと」を指す。

新型コロナウイルスの感染力の程度は、まだハッキリしていない。日本が大事に至っていない事と、一部欧米諸国で大混乱が起きている事、その決定的な分岐点がどこにあるのかは分かっていない。ワクチンも準備中で、実効性のある対策は用意できていない。

「もっと自粛しろ!」「もっと検査しろ!」と騒いでいる人たちは、リスクを「確実に実現する悪いこと」だと勘違いしている。リスクは実現しないかもしれない。見えない敵を恐れて既知の危険地帯に平気で踏み込むというのは、あまりに滑稽だ。

逆に「自粛なんて必要なかったんだ!」と騒いでいる人たちは、リスクを「実績で判断できること」だと勘違いしている。普段から実績の後を追うばかりで、リスクに挑んだことがないのだろう。「その時にならないとわからないこと」を理解できない、口だけの野次馬だ。

どちらも声が大きいので、もう少し静かにして欲しい。

『世界的な問題が起きている』
『地域によって状況が大きく違っている』
『先のことを予測できる状態ではない』

これが現実だ。

日本では今のところ(ウイルス自体の脅威による)大きな被害は出ていないが、今後のことは分からない。目の前の問題は小さく、しかし大きなリスクを抱えているのだ。



現実に大きなリスクがある。リスクへの対応に際しては先人の知恵「リスクマネジメント」という考え方がある。

リスクマネジメントについては、トム・デマルコの著書「熊とワルツを」という本が勉強になると思うので、ここに紹介しておく。



リスクマネジメントは、不安商売でもなければ、実績の二番煎じでもない。それは、リスクを許容できる範囲におさめるための工夫と努力だ。あらゆるプロジェクトを円滑に進めるために重要なこの考え方を、多くの人は理解していない。

高度なリスクマネジメントは、リスクが実現する前に問題を軽減したり解決したりする。これをあとから振り返ってみると「リスクは実現しなかった(何もなかった)」「リスクは小さかった(簡単な話だった)」という話になる。

緊急事態宣言について振り返ってみよう。結果的に、爆発的な感染の拡大は起きなかった。リスクはなかったのだろうか。それから、緊急事態宣言による明確な成果は認められていない。外出の制限などせず、もっと簡単な対応をすればよかったのだろうか。

そしてなにより、緊急事態宣言は経済的に大打撃だった。問題もないのに必要以上の対策をしたのだと、文句を言う人も出てきた。緊急事態宣言などというリスク対策はしない方がよかったのだろうか。

念のため書いておくと、緊急事態宣言が発令された時点でも、今でも、日本における新型コロナウイルスの被害が一部欧米諸国のそれと並ぶというリスクは存在し続けている。



日本の新型コロナウイルス被害は、一部欧米諸国のそれと比べて、人口あたりの感染者数や死者数で2桁違っている。

人口あたりの新型コロナウイルス死者数の推移【国別】
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html

それから、驚くべきことに、超過死亡数は例年と同じ水準だ。

インフルエンザ関連死亡迅速把握システム
https://www.niid.go.jp/niid/ja/flu-m/2112-idsc/jinsoku/1847-flu-jinsoku-2.html

インターネット上には様々なデータが公開されているにも関わらず、多くの人はデータを確認していない。ここで誰かが「データを確認しろ!」と言えば、多くの人がデータを確認するようになるだろうか。

仮に、正しいデータに基づいて適切な新型コロナウイルス対策が実施されたとして、誰がどう納得するのだろうか。



多くの人は、自分にとって好ましい情報を集めて「分かったつもり」になっている。現代人の賢さは、その程度のものだ。

適切なデータを元に適切な行動をしても、適切な結果や評価が得られるとは限らない。データも現実だけれど、人の賢さが足りないのも現実なのだ。

政府や行政は、多くの人に理解してもらえる手を打つ必要があるのだろう。政治家にとっては支持率も大事だし、そもそも話を聞いてもらえないとどうにもならない。正しいかどうかよりも、まず、多くの人に聞いてもらえる話をしなければならないのだ。

このような状況は、システム屋の目で見ると、炎上(失敗)するシステム開発プロジェクトを見ているような既視感がある。明確なゴールを設定すれば何とかなりそうにも思えるが、今のところ、新型コロナウイルス対策にはそれがない。このまま多くの人が「自分の(一つの)事実や正解」にこだわっている限り、混乱は続くのではないだろうか。